更新時の一言・・・大震災後

日付の新しい順です


平成23年3月18日 再び巡ってきた金曜日の分から

(31日 朝)昨夜、ここ数回の中ではちょっと強めの余震があったのですが・・・最初に地鳴りがして・・・普通に揺れ始め・・・でもこれはこのあと揺れが強まるタイプだなと直観し・・・覚悟を決めて待つこと数秒・・・ガタガタッ!!!・・・どこまで強まるのか緊張の一瞬・・・すぐにおさまってくれてやや安堵・・・でも脈と呼吸は乱れて・・・という感じでした。

心身の不安定は体のやつれという形でも出てきています。腕時計などがゆるくなっていたので体重の減少は分かっていたのですが、昨日、震災後初めて体重をはかりました。震災の数日前と比べて4キロちょっと減っていました。3週間弱で4キロの減少は普通のダイエットだったらピッチが早すぎるレベルですよね?????

特に昨日の夕方、震災二日前に通った国道6号線の勝田付近を久しぶりに通ったのですが、思った以上に大きなお店でも大破してしまっているところが多くて・・・映像で壊れた各地の建物をあれだけ観ていても、震災直前に実際にこの目でみていた風景が様変わりしているのをみるとやはりショックです。それだけにゆうべの余震はダメージがありました。(まゆみ'2002さんも同様のショックで、今までと違った感覚で今回の地震を再認識したというメールを送っていました)

今日はこれから旧大和村へ出かけてきます。本当はお彼岸に親戚と行く予定だったお墓まいり。親戚は福島でまだ電車も通っていないので私が一人でお墓が痛んでいないかどうかを確かめにいってきます。そちら方面の親戚に確かめて見た目は大丈夫だと言われたらしいのですが、やはり私に直接確かめてきてほしいと・・・。ガソリンが補給できるようになったらね・・・と返答していたのですが、昨日から開いているスタンドも増えてきたので、3月最終日でもあることだし、行ってみることにしました。

この画像は今朝、うっすらと夜が明け始めた時に東の空にうかんでいたお月様です。


少し離れたところに金星も輝いていたのですが、一緒に写るように撮ったものはホームページ用に小さくするとどこに金星があるのかよく分からないのでお月様のアップ画像のみにしました。



(30日 朝)
あるラジオ番組で応援歌特集のようなことをやっていたそうです。その中で「平成狸合戦ぽんぽこ」のエンド・テーマ「いつでも誰かが」が流れていて、それがとってもピッタリで涙ものだったと・・・。私もCDを持っているので聴きなおしましたが・・・・後半繰り返しになる「いつでも誰かがきっとそばにいる」で「自分にとっては誰かな?」とフト思ってしまいました。人生の半分は独り暮らしで現在進行形ですが・・・

でも家の中では孤独でも、私には教え子達もいるし、また今回の震災で様々な方々にいろんな形で支援して頂けて・・・そんなありがたさをしみじみと感じながら聴いていました。

ゆうべの授業は元同僚のO先生宅だったのですが、結構昨日は震度が大きくなくてもそれなりに余震が何度もあったので「長い揺れって嫌だよね」という話になりました。揺れがもしかしたらだんだんと強くなるかもしれない・・・その妙な緊張感にさらされるのは、一回一回がいくら弱くても重なるとそれなりに気持ちがまいってしまいます。夜中や今朝方もありましたが、神経が過敏になっているので、1時間以上寝付けなくなります。それが余計に悪循環となって胃腸の方にも目立ったダメージがゆうべあたりからだいぶ出てきています。そのうちストレス性胃潰瘍になったりして・・・・。


(29日 朝)まゆみ'2002さんが手づくりの「キッシュ」を持ってきてくれました。冷めた状態のとオーブントースターで温めたのとどちらもお勧めというので半分に切って片方を温めました。とりあえず一度5分以上のところに回してから2分にセットして・・・他のことをやっていたのですが・・・そろそろ2分と思っても「チーン」という音がしません。見るとタイマーの位置は全く動かずに煙が・・・。

実はこのオーブントースターも炊飯器とともにあの地震の際、落ちたというよりはすっとんでいました。そのとき以来初めての使用だったのですが調子がおかしくなっているようです。(炊飯器はフタの開閉がいまいちですが一応炊けています)

端がちよっと焦げましたが、全体としては表面がカリッといい具合で・・・確かに冷めたものも温めたものも違った美味しさがありました。落ち着いたら自分でも作ってみようと思っています。

今は料理の最中に余震が来たら・・・と思うのでサッと炒められるもの等々、料理をつくっても短時間で出来るものばかりです。実際に炒め始めたら余震がきて・・・というのも何度かありますから。また多くの家がそうだったように、うちの台所もガラスや瀬戸物がだいぶ割れてしまいましたし、棚の上のナベや何かがみんな落ちて瓦礫状態でした。

台所に立っている時にまたあんな程度の大きな余震があったら怪我、あるいは湯をわかしていたら大ヤケドをするんではないかという不安が常につきまとっています。料理をすることが基本的には好きなタヌキとしては、台所にいる危険意識もそれなりのストレスとして蓄積されています。

時間がかかる調理が自然な気持ちで出来るようになるのは一体いつなのでしょうね・・・余震の危険度がある程度の可能性あるうちは、というと数ヶ月は無理なのかな・・・。


今朝の新聞によれば常磐線の土浦-勝田間は当初の予想よりちょっと早く31日あたりに復旧の見通しになったそうです。

その一方で記事の中には痛ましいものも日々あって・・・今朝は摂取制限の影響で福島で有機農業30年の年配の方が、せっかく地震でも無事だった出荷直前キャベツが出荷できなくなった翌日に自殺してしまったという記事も。安全な食べ物を育てようという信念をお持ちだっただけに、放射能の危険を自分の丹精込めて育てた野菜が帯びてしまったのが耐えられなかったのでしょうが・・・生きていて欲しかったです。


(28日 朝)今朝更新した学習会だよりに書いたことですが・・・「想定外」という言葉をなるべく使わなくても済むくらいに大きく幅を持たせて事前に対策を練る、備えるということ・・・古来からの発想としては「本気で思っていることは、現実にそうしたことを呼び寄せてしまう」というのもありました。言霊信仰がもとで。そのあたりのバランスが難しいところ。

受験対策などでも「楽観的」でずっと過ごして、結局第一志望を受験する得点力も確保できなかった、というのは珍しいことではありません。1年生の頃から変に楽観せずに着々とやっていた子が有利になるのは当然のことです。

だから本当は勉強などの場合は「こんな生活の仕方では落ちるかもしれない」という恐れをベースにして対策を立てるのではなくて、「こうすればもっといろいろな事が分かって面白いだろうな」という夢やあこがれの気持ちをベースにして最善の策を練る、といった方がグングンと進歩します。言霊信仰の上でもそうなるのは当然。

そしてそんな気持ちを本当は人間は幼児期から既に持っているのですが、現実主義に走りすぎて大人の価値観で勉強を強いるようになると、折角の伸びるエネルギーを、歪んだ行為に発露させてしまうようになってしまいます。

昨日オンエアされたMJでのももいろクローバー・・・紙切り芸に挑戦のコーナーでの杏果さん作の「ねこ」の顔はすごかったです。



(27日 朝)ゆうべの段階からかなりの寒気がやってきて今朝もとっても寒くて冷たい朝です。水戸気象台の観測では氷点下になっていませんが、例のごとく笠間では氷点下3度近くまで下がっているので、ここはそちらに近いようです。車にもしっかりと霜がおりていますし、いつもはニャーニャーまとわりついてくるネコもじっと丸まっています。(姉弟です)

昨日から夜中にかけては震度は2〜3程度ですが余震が多かったです。やはりゆれ始めはドキッとしてしまう・・・その繰り返しで頭の中も普通の状態ではありません。亀裂の拡大や新たな亀裂の発生を今朝も確認・・・不安で頭が一杯なのでいろいろとポカをします。

ゆうべの授業では、いつもその家では到着してすぐに私がお茶を入れます。昨日もお茶葉を入れてお湯を注ごうとしたら「先生!先生! 違ってる!!!」との声。「?」と思ってみてもすぐには何が違っているのか分かりませんでした。さて、何の疑いもなくタヌキはどういうことをしようとしていたのでしょうか?


今日はこれから新大学一年生からの補講依頼ででかけてきます。また変なポカをしなければいいのですが・・・。

*地震で放送が延期になっていた NHKのMJ・・・ももいろクローバーも出演です。

(26日 朝)丸一日以上、はっきりと体感するような余震はありません。(たまたま寝ている時にあったかもしれませんが)エネルギーを蓄積中ではないのかとちょっと不気味です。教え子には「もう2週間たったんですから、そろそろ落ち着いてきたんでは」と言われるのですが・・・私の意識では昨日も書いたように現在進行形であって「まだ2週間」というのが正直なところ。

家の中で一人でいるから余計にあれこれ考えてしまうのかもしれませんが・・・。だからゆうべも1時半頃から4時半頃まで寝付けずにずっといました。昼間もやはり気をはっているせいか、震災前のように体を休める昼寝をしようとしてもほとんど眠れないし・・・。こんな生活を続けていたらますます精神的に追い詰められてしまうのは頭では分かっているのですがね。

(25日 午後)今日は金曜日・・・現在時計は14時15分・・・もうすぐあの時間が巡ってきます。そしてそれはまだ進行形・・・様々な形で進行中です。報道などで取り上げられて徐々に改善されている避難所もあれば、全く放置されているといっていいような避難所、今なお寒さの中で命の危険におびやかされ、電気も水も食料もまともにかい方々がうんと大勢いらしゃいます。そんな悪化しつつある状況で2週間もたってしまっているんです。

今私達にできることは、これ以上こじれないで済むように冷静になりつつ、しかも懸命に「今」を生きること。

昨日。国道50号バイパスを走っていた時に、何台も福島ナンバーの車をみました。きっと避難されてきたのでしょうね。家を出てこなければならないなんて本当に心身へのダメージははかりしれないものがあると思います。

なのに、たとえば福島ナンバーの車が停めてあっただけで「汚染された車を早くどかすように言ってくれ」と駐車場の管理人に苦情を言う人までもが出てきているとか・・・。戦時中、原爆にあった人たちが避難先で差別にあったということの再来のようです。

繰り返しますが、そんな危険な施設を他県の方々にお願いして首都圏の便利すぎる生活は成り立っていたということを真剣に受けとめ、今をみんなでどう乗り切って、これからの世の中を立て直していくのかを考え実行しなければなりません。
(25日 朝)ある教え子の高校生は教室で地震にあったそうです。校内で最も被害が大きかったある施設は屋根がほぼ完全に崩れ落ちたとか・・・実はその子はその施設が部活の場・・・もしも地震が起きるのがもうあと一時間くらい遅かったら、その建物の中で練習が始まっていて、あわやというところだったそうです。


昨日も震災以来初めて再開の授業があったわけですが、前回やりかけだった難問だらけの「微分計算」春休み課題の続きをやりました。途切れていた時間がまた一つつながったような感覚でした。

そうしたらあと数分で終了というときに急にホッとした気持ちになり昨夜寒さと余震でほとんど眠れなかったこともあって眠気が襲ってきました。・・・と思った瞬間・・・タラー・・・何故か突然鼻血が出てきて・・・。何だったのでしょう???

他に今までとは人生の展開が思いがけない方向にも変化しそうな予感を得られるような電話が元教え子から夜にあったのですが・・・それはまた後日書きたいと思っています。

(24日 昼)この写真は先日コンクリートの剥落が予想されると書いた風呂場の左側ではなく、右側の上のヒビです。震災直後はあまり目だなたかったのが昨日の朝の大きめの余震のあとにかなりはっきりして・・・その時撮ったのが画像の左側・・・そして今朝の余震後にみたら右側の画像のようになっていました。一日でこう変化しているので、この調子でまだまだ続けば一体どうなってしまうのでしょう。数ヶ月以内に本震ほどではないにせよかなり大きな余震の可能性もそれなりにあるというし・・・


ただ、この部分は崩れても壁の表側が崩れる程度といえばその程度・・・本当は今後の余震で半壊につながりかねないようなヒビも余震のたびに拡大中です。


(24日 朝)先ほどまた大き目の余震がありました。茨城県南部で震度5弱・・・水戸は3となっていますが、瞬間的には4より強めの感じがしました。実際にまた家の中の亀裂が何箇所か大きくなっています。

ゆうべはまたうんと冷えこんで3時以降は体を動かしたりしても寒くてずっと眠れず・・・・でも水戸気象台発表では氷点下にはギリギリなっていません。(笠間では氷点下ですが)・・・もしかすると家にはいっている多くのひび割れから今まで以上に外気が入り込んできていて畳下や天井の方から冷やされているのかもしれません。寝不足なので余計に体の冷えがこたえています。今日はやはり震災後初顔合わせの授業が入っているので、できればその前に一眠りしたいのですが、うとうととしかかると余震でパッと飛び起きて・・・の繰り返しで・・・。

私の周囲の人たちの中にも普段着で今でも寝ているという方は多いのですが、私も外出着で、さらに懐中電灯などもポケットに入れているのが寝返りをうつたびにゴロゴロして・・・それが余計に安眠を妨げているのですが、枕元に置いていたのでは、万が一11日に近い震度の揺れで部屋中のものが崩れまくったら、枕元に置いておいたものでもどこにあるのか見つけ出すのは困難だと考えて肌身離さずにしています。


さて、そんな日々なのであの11日以来、地震関連の報道はみるのですが、放送でもDVDでも、ドラマやアニメ等々のものは全く観ていませんでした。あまりの現実対応モードに内面がなっているからなのでしょうね・・・観る気になれないというか、世界に浸れないんです。日めくり万葉集も録画はしていて、先日も再生してみたのですが、ないように全く集中できないのですぐに数十秒でとめました。仮にDVDなどをみていてやっと集中できても余震がその世界をぶち壊しにしてしまう・・・家が徐々に崩壊していく恐怖で頭が一杯になりますから。

それが余計に精神の悪循環になっています。・・・そう考えると、やはり安政大震災の直後から「ナマズ絵」を受け入れた江戸庶民のイメージ運動の世界は半端ではありません。

昨日更新した学習会だよりに引用した上原先生の言葉のように自分も・・・と思い、ゆうべオンエアされた「卒業ホームラン」はリアルタイムで観る事にしました。(放送10分ほど前までは録画しておいてもっと落ち着いたらと思っていたのですが・・・実際にスタジオジブリ物語も録画しただけでまだ観ていません)

このドラマが撮影されたのはもちろん震災よりずっと前。でも出演されている美山加恋さんは宮城県にいる親戚の方々も被災されてあんなに沈んでいながらも義援金呼びかけをされている・・・そんな加恋さんのドラマがこの時期に放送されるのにも大きな意味があるかなと思って・・・。

不思議なことに放送中の2時間ちょっとの間、あんなに朝から頻発していた目だった余震もなく、ドラマの世界にしみじみと浸ることができました。そんな風に短時間でもなれた自分のことも少し嬉しく思いました。

さらに大人っぽくなった加恋さんが今の年齢にふさわしい(?)弟のことを大事に思うがゆえに本当は大好きな父親に反抗する複雑な心境の娘さんをしっかりと演じていました。

(23日 夕方)学習会だよりを更新しました。上原先生の語録からの引用ですが、今の時期に特にお勧めは「となりのトトロ」でサツキが大泣きするシーンについて話しているものです。

いつもは難しい顔をして世の中に対して超辛口のコメント・・・先生御自身、若い頃には映画やテレビのシナリオを書いていた経歴(そのため特撮の神様である円谷英二氏とも知り合いだったので、教え子の金城哲夫を円谷プロに弟子入りさせたのです)もあって・・・映画やテレビドラマを誉めるというのはあまり記憶にはないのですが、「となりのトトロ」に関してはいろいろな点で「あれはよく出来ている」と、トトロに夢中なお孫さんのことを引き合いに出しながらニコニコと語っていたのを思い出します。

大きな余震のたびに私の家のあちこちに入っているヒビや亀裂が大きくなって・・・風呂場の左側の壁など妙な亀裂がくっきりとしてきて、大きな余震があと数回(もっと大き目ならあと一回)で壁の下半分を覆っているコンクリートが全面はがれて崩れるのではないか、というようになっています。(もっとも本格的に大きな余震がきたら今度こそ半壊も覚悟しなければなりませんが)

学習会だよりには「復興に向けて」と敢えて書きましたが、「余震のたびにジワジワと心身が日々追い詰められているのが本音」といのが現状のタヌキです。そんな自分自身への想いもあって今回の便りは書いています。


今夜は美山加恋さんも出演される「卒業ホームラン」のオンエアです。親戚が被災されていて沈痛な様子の加恋さんの姿を義援金呼びかけの動画で観てしまっているので、素直な感覚で観られるかは自信がないのですが・・・録画セットはしてあります。


(23日 朝)今朝は数分おきに強めの余震が連発しています。数値的には水戸は震度3が中心ですが(また揺れだした・・・)体感的には4くらいに思います。震源が親戚のいるあたりに近かったので(震度5強)今電話をしてみたのですが、縦ゆれも混じってかなり不安な様子。

余震はゆうべの家庭教師の時間から今朝ほどの強さでないにせよ再び増えている感じでした。マンションの5階なので船に揺られている感じで・・・・。(ちなみにいつもはエレベーターを使うのですが、昨日はさすがに階段を使いました。自分のここ10年以上の人生の中で3階程度までの階段はあるにせよ、5階までの階段をあがったというのはちょっと記憶にありません。さすがに最後は足がガクガクして「ハウルの動く城」の荒地の魔女状態に近づいてしまいました。(もっとも震災後は車を使わずに歩くことが多かったのでいくらかマシだったのかも。震災前に5階まであがったら途中で休憩が必要になったでしょう。そのくらい肉体年齢は低下していました)

震災後初の家庭教師ですが・・・車の運転は地震翌日に近場の様子をみるためにちょっと運転した以来約10日ぶり。変な感じでした。(また余震!・・・弱かったですが・・・さきほどからの影響で過敏になっていて心拍が乱れかけています)いろいろと地震に関する出来事を聞いて・・・今週の学習会だよりの解説もして・・・(これは夕方に更新したいと思っています)・・・しめくくりとしては思いがけない展開から違う観点で大事な話になり・・・という感じでした。


(23日 夕方)昼間、ある教え子がお母さんと御強を届けてくれました。まだ温かいうちに車で・・・。そして午後は小学校の時に担任したS君がホームページで私の家の状況を心配してくれて「そっちの方の仕事をやってるから」と元となりのクラスだったI君と一緒にわざわざ来てくれました。とりあえずは大きな余震がない限り緊急に深刻ではなさそうです。(建物に入っていたヒビはあまりいいヒビではなさそうですが)横殴りの雨の時に染み込みそうな壁の亀裂は補修してくれました。

その後小学校当時の思い出話に花がさいていたのですが、そのときに近所の方が差し入れを持ってきてくださって・・・。「先生、みんなに助けられてるね」と言われたのですが、まさにその通りです。ありがたいことです。

ゆうべ放送された「スタジオジブリ物語」、録画はしたのですが、まだ観ていません。というかさすがにジブリアニメ関連のを観る気分になれるほど家の中も片づいていないので。(震災直後と比べれば生活空間はだいぶマシになってきましたが)

(22日 朝)赤ちゃんの名前が決まったとの続報、そして画像も添付ファイルで送って頂きました。カメラ目線ではない瞳がとっても印象的でした。これからこの目に世の中の様々なことが映っていくんでしょうね。それらを全て糧として成長していってくれそうな期待がふくらむような写真です。周囲の方々にも大きな希望になっているようで・・・子どもの力は偉大!!!

私も震災以来初めての家庭教師に今夜でかけます。今度中3になる双子君たちのところです。どんな時間を過ごすことになるのか全く予期はできないですが、再起動にふさわしい時間になるでしょう。明日以降の家庭教師がどうなるかは全く未定ですが、とにかく家庭教師再開にあわせて、震災後更新がとまっていた「入れ替えアルバムコーナー」の更新もしました。(下方)

*夜明け前、フト起きたあとに妙に頭が冴えて寝付けないでいたのですが、しばらくして突然、いろいろな言葉が頭に浮かんできて(あちらからの信号???)忘れないうちにどんどん書き留めた量がかなりになりました。これらのことも踏まえて、今日以降の自分ならではの特色を生かして何ができるかを具体的に考えて、先日夢の中で上原先生にゲキをとばされたことに答えていきたいと思います。

*児言態、宮城在住の地方会員で連絡がずっととれずに心配されていた方と、昨日連絡がとれたとのメールがきました。とにかく無事でよかったです。

(21日 夕方)ある番組でいわき市の中の常磐線「いわき駅」の周辺の様子を紹介していました。店は閉まり道には一人もいませんでした。いわき駅周辺は私の親戚も多いのでよく知っている場所なのですが、ふだんは交通量の多いメインストリートも中継中に通った車は一台だけでした。いわき市はかつて日本で一番広い市と言われていたのですが、テレビでよく出される地図をよく見て頂ければ分かるように屋内退避地域に北部が少しひっかかっている程度です。それでも風評被害によって例えばいわき市全体の中で営業しているコンビニは一つもないんだとか。

いわき駅近くに住む親戚に先ほど電話をしたら、食料などを買える店がみんな閉まっていて、もうすぐ買い置きの底がついてしまうと言っていました。

報道をみていてまさに風評だと思ったのは、同じ福島県内でも郡山まではかなり物資が届いているそうです。ところがそこから先、いわき市に運ぶのははっきりいって拒否されていて、必要なら郡山まで取りに来て欲しいといわき市側は言われてしまう・・・ところがガソリンもいわき市には届けてもらえないので輸送体制も十分にとれない・・・。

でも、地図を見て頂ければわかるのですが、今回問題になっている原子力発電所からの距離で郡山と例えばいわき駅より南とで、どれだけ違いがあるのか?むしろいわき市の半分以上は郡山より離れていると言えなくもないんですが・・・。(だから郡山が危険と言いたいのではありませんから誤解しないでください。郡山という地名を出したのは報道されていた内容に沿って書いているためですから)

「いわき市」という名前だけが一人歩きしてしまっているわけです。せっかく今日は常磐自動車道の水戸からいわきまでも復旧したというのに物資が届かないというのは・・・・その親戚がこぼしていましたが、確かに被害の大きさから言えばいわき市の内陸は家の被害はないけれど、食料が入手できないという点から言えば深刻さはますます悪化している・・・なのに報道は宮城や岩手や原発周辺のことばかりで、いわき市は放っておかれているようだと・・・。

今回の地震はあまりに広域で比較的軽い被害と言えども生活に直結した問題にみんなが直面しています。それが「風評被害」によって問題を増幅させていては気力を失うひとをますます増やしてしまいます。



(21日 午前)福島県民に対する風評被害も表立ってきているようです。「タクシーの乗車拒否をされた」「宿泊を断られた」・・・厚生労働省は19日、福島県からの避難者の宿泊を拒否しないよう各都道府県などを通じ、宿泊施設を指導するよう通達を出した。・・・とのことですが、このような通達がでなければならないのは・・・放射能が怖いことは分かりますが・・・・でもやはり悲しいものです。

こうした風評被害を食い止めるのに大切なのは、やはり月並みですが「放射能に対する正しい知識と情報」。ただ、今までの長年の積み重ねで企業も政府も「本当に正しく情報を開示しているのか?」と疑われてしまっているところにも大きな問題があります。トップに立つ方々の言葉が軽すぎるし、あまりに軽率で無神経が発言もあちこちで飛び交いすぎています。それに対して危険な現場で指揮をとる責任者の方々の言葉には実感と重みを感じます。

とにかくこれ以上被災した方々や避難を余儀なくされた方々を助けるどころか、余計に苦しめることは回避できないものでしょうか。今朝も書いたように特に放射能云々のことは、首都圏の今までの物質的に豊かな生活を危険と隣りあわせで長年支えてきてくださった方々に対してあまりに理不尽です。

(21日 朝)福島県(茨城県も)への放射能がらみの「風評」問題が高まってきています。水戸市も東海村に近いですから正直不安はあります。

報道などをみていると首都圏での計画停電の実施、ガソリンや様々な生活用品の不足、飲食店や各種娯楽やサービス業の停止が「東北地方のあおりを受けている」というような発言や態度の方々も少なからず見受けられます。

ただ、昨日の朝日新聞の投書欄に福島県の方からの言葉があったのですが、「こうした原子力発電所は首都圏の需要をまかなう役目を担っていた」という意識が薄い人が多いのではないか・・・という趣旨でした。

昔から言われてきたことですが「原子力発電所が安全安全というならば、どうして東京湾など首都圏に建設しないのか」・・・「地元は財政面で優遇されているのだからいいではないか」という意見も聞いたことがありますが、結局は大きなリスクを背負ってきたわけです。新聞には「安全神話が崩れたと言うが、こういう時に大丈夫だからこそ安全神話というのだ」「想定外という言い訳をしすぎ」という趣旨の言葉もありました。

今はこうした企業や国の今までの姿勢を非難するよりも「どうするか」という意識の方が大事ではあるのですが、ただ、家が壊れていなくても他県に避難しなければいけない方々のお姿や風評被害でこれからの生活をどうしていいか分からなくなっている生産者の悲痛な姿を報道で目にした時に「こうした方々のおかげで首都圏の自分たちもふんだんに電気を使える便利で満ち足りた生活を送ることができていたんだな」という想いを抱くことも、本当にみんなが一丸となってこの危機を乗り越えていくためにも大事なことだと思います。


先ほどから震災以来最も本降りの冷たい雨になってきました。被災地では雪の予報がでているところもあります。みんなで声をかけあって乗り切っていきましょう。

*19日に出産した教え子からの続報です。生まれたのは女の子だそうです。

(20日 夜)先ほどまゆみ'2002さんと従姉妹のジュリエットさん、ミニーさんが訪ねてきてくれました。とても人を入れられる状態ではないので薄暗い玄関先での立ち話だったのですが、無事な笑顔を直接みることができて安心しました。

今日更新されたブログで鈴木理子さんが先日無事に中学を卒業できたとありました。元気な画像付でした。こんな状況なので祝賀ムード全開というわけにはいきませんが、でもやっぱり「おめでとう!」と心から言いたいです。

家の中を少しずつ片付けてはいますが、あまりに手をつけなければならない部分が多くはかどりません。それに大量の本や資料をどこに片付けるか・・・今までと同じ場所にしまったら大きな余震がまだまだ続いている我が家では危険です。だから本棚でも何でも上の方に置いてあったものはとりあえず床に重ねてあります。廊下奥の目茶苦茶に大量の本が崩れたところは全く手をつけていないので足の踏み場もありません。余震の様子をみながらどこをどの程度片付けたらいいか・・・難しいところです。

(20日 朝)未明の更新後、もうひとねむりし、起きてからいつものように神棚・仏壇・そして仏壇わきにある上原先生をはじめとして他界した教え子たちの写真などに手を合わせていたのですが・・・・その時、フッと上原先生のつぶやきが聞こえてきたような気がしました。「分かっているんだろうが、借金をしてやっていけと言っているわけではないんだからな・・・」

確かに一番今の自分の中を支配しているのは極度の月収不足や家が壊れてしまうのではないかという経済・生活がらみの不安です。今朝の新聞にあったのですが、昨日の強い余震で水戸でも「半壊の家が全壊した」ということが現実に起きたようで・・・みかけは大丈夫そうにみえていても基礎から大きなひびが入ってしまっている我が家が大きな余震によって「半壊」になることだって可能性はゼロとは言えませんから。

でも上原先生が夢の中で訴えたかったのはもっと別の言い方をすれば「人知を越えるために現象思考に囚われ、可能性を自ら狭めるのではなく、無我夢中で立ち向かえ」・・・あらゆる道や手段が自分の思っている以上にあるんだぞ!・・・というなのかなと思っています。だから「借金
してやるんだぞ」ではなく「借金してでもやるもんだよ」という言い方だったのでしょう。

学習会便りで1月には安政大震災をナマズ絵のユーモアで乗り切った江戸庶民のたくましさ、そして現在そのコーナーに載せている過酷な試練を乗り越えて大いなる進歩・進化をとげた、ということを書いていたり、「人知を越えた」というのをキーワードにしていたのに、いざ、本当にこうした状況に直面すると意識世界の本性があぶりだされてしまいます。

自分の意識では、なかなか無意識世界にある古来からの発想や内なる力が沸いてこない・・・それを引き出してくれるスイッチが、それこそ「未来へススメ!」の歌にも象徴されているように「人間関係」なのでしょう。

小原先生だって「この教え子たちのために少しでもホンモノの教育をしたい!!!」という子ども達の存在があってこそ湧き上がってきた現実の厳しさをもろともしない力だったんだと思います。

とはいっても家庭教師としてこうした非常時にはすべての授業がキャンセルになって子ども達との接点も失っている現在、やはり「何もできない」という無力感はかなりあります。そうしたら今朝の新聞にこんな記事もありました。

・・・・映像の影響を受けるのは子ども達だけではない・・・。「いま、何もできなくて情けない」と後ろめたく思う必要もない。「私たちが元気出さなきゃ」と必要以上に前向きになるのも心配だという。「おいしい物、あったかい物を食べて、心身の健康を保つことが、むしろ大切。力を蓄えておくことも、貢献につながるんじゃないでしょうか。今回は長丁場。いくらでも交代要員が必要になると思うので、出番は必ずまわってきます」(朝日新聞「震災映像 子どもに負担」)

もちろんこれも「被害を受けずにすんでラッキー」という気持ちで気にしないで今まで通りの生活を送っていいということではなく、出番に備えてということ・・・ならば私も教え子たちと再会できたときに、どんな語り合いが出来るのか・・・そのための自分の心の耕しを「弱さの部分」も含めて今はしっかりとやっておきます。

(20日 未明)また上原先生が出てくる夢をみました。かなり長編でした。目が覚めたら3時半。忘れないうちに内容を細かくパソコンに記録してそのまま更新作業です。かなり入り組んだ内容なので、ごくごく簡単にポイントだけ書きます。

(以下、夢の中身)・・・ハッと気がつくと、今の自分の立場(家庭教師・被災)のまま玉川大学の講義を受けている・・・歌舞伎に関する講義なのだが最初は誰か知らない先生で、今回が前期でラストの講義・・・ところが締めくくりの部分になっていつのまにか上原先生の講義になっていて・・・・最後に「明日、児言態が広島で研究授業をするから希望者は行かないか」と呼びかけ。みんな観光気分もあって大学から羽田に直行しようと走っていく。

私は今の自分の状況からみてとても行けそうにないので一緒に走っていかなかった。そこへ先生が話しかけてくる。「おまえはどうする?」「ちょっと今、経済的に厳しいんですよね・・・」
先生が「・・・すればいい」と打開策を提案してくれるがいろいろ言い訳。

そんなグダグダした私に向かって改札を先に出て行く先生が振り返って
「本気でやろうとしているなら借金してでもやるもんだよ!小原先生がそうだった!!」
とだけ言って先にいってしまう。

迷いながら駅を歩いていて・・・先生の姿がチラリとみえたけどこちらには気がついていないので・・・そのまま帰途につこうとする。先生を裏切るような気持ちで・・・・
このあと親戚と偶然であって「行けばいい」というようなやりとりがあるが、広島に行くかどうか結論が出る前に目が覚める。

確かに経済状態も現実生活においては無視できない要因ではあります。でも小原先生が玉川学園を始めた頃の土地や駅や資金調達、ホンモノの体験をさせるために話を決めてしまってから莫大な資金を集めるため学校一丸となったスキー講師を海外からよんだエピソード、そして上原先生もよく語られていた学園が借金だらけで本当に経営難になった当時のこと・・・そうしたことを現実に乗り越えてホンモノ(夢)を追求しようと実践していた小原先生や上原先生からみれば、今の私は信念実行をしたいと言いつつも、心の奥底では目の前の現実対応ばかりに意識がいっていると見えるでしょうね。

ちなみに小原先生が理想の学校がないなら自分で作ろう、と玉川学園を創設したのは40代。今の私の年齢以上の時に最もエネルギッシュに活動していたわけです。小原先生や上原先生だったら、今の私以上に厳しい状況でもガンガン行動していたでしょうね。

「どこまで本気なんだ!」という叱責をされても当然です。
(19日 夜-2)今夜10時よりホリプロ所属タレントによる義援金の呼びかけ動画が配信されています。(アドレスは上記 ミニ情報コーナー)美山加恋さんも呼びかけてくれているのですが、実は加恋さんの親戚も被災されていて、今まで見たことのないような沈痛な表情で・・・観ていてとっても痛々しくて辛かったです。

(19日 夜)先ほどの大き目の余震・・・茨城県の北部は 震度5強 、南部は 震度5弱・・・で、そこに挟まれている中央の水戸は・・・震度4となっていました。

「うそ!!!」

どう考えても4以上ありました。5弱くらいは・・・ちょうどテレビを観ていたのですが、真面目にこちらに向かって勢いで倒れてきそうになりましたから。危なかったです。

今日は天気もよく気温が高かったので灯油の刺激臭が充満する部屋を何とかしたくて・・・ところが窓やサッシを開けるには、相当倒れてたものがゴチャゴチャになっているのをどかさないと不可能。そしてそれを片付けるためには、一時置いておく場所をまず確保するために別の場所を先に片付けなくてはいけなくて・・・延々時間をかけてようやく全開。ちょうど日差しが灯油が大量に染み込んでいる畳にあたりましたが、思ったよりは匂いがとれませんでした。

ただ、寝るには何とかなりそうだったので、あまりに寝付けない居間ではなく、何とか本来の寝室で寝たかったのですが、先ほどの大きな余震。やはりあの部屋はまだまだ危険です。やはり今夜も外出着でポケットに懐中電灯や財布などをいれたまま寝ることにします。

お昼に連絡のあった生まれたばかりの赤ちゃんや、出産間もないお母さん、この余震の連発は大丈夫でしょうか。心配です。


テレビと言えば、今朝の新聞に震災後のCMについて「しつこい」などの抗議が殺到しているとありました。確かに普通の感覚でいったら数種類の同じものが繰り返し繰り返し流れているのはしつこく感じるでしょうね。

でも逆に言えば「しつこい」と感じられるくらい普通に長時間テレビを観る事ができる環境にあるからこそ言える苦情です。避難所でもテレビが観られるところはまだ条件がいい方で、震災後一度もテレビをみていない方が被災地には圧倒的多数・・・テレビでたびたび紹介されている避難所よりも。もっと過酷な状況、あるいはまだ見つけてもらえずに数人が肩を寄せ合って見つけてくれるのを待っている方々だって大勢います。

「しつこい」と思える環境にいる自分を思って、寛大な気持ちになって頂けたら・・・テレビ番組が通常に戻りつつある今、うっかりするともう復興はかなり進んだという錯覚を抱いてしまうかもしれません。あるいは計画停電や首都圏での物資不足で自分たちも巻き込まれてしまっている、という気持ちがつい芽生えてきてしまうかもしれません。

それはそれで仕方のないことではありますが・・・・今回の復興が復興らしく形になるまでには相当の月日がかかると思うので、ぜひ寛大な心でお願い致します。

水戸でさえガソリン不足だけではなく、あいつぐ余震でストレスが体にかなりの影響を与えつつあります。私も余震のたびに不整脈の発作が起きることが少なくないですが、教え子たちからくるメールでも過呼吸になったり胃痛になったりいろいろとありますから。ましてや避難所で寒さ等々から亡くなる方が出始めているというのも・・・せっかく助かった命なのに・・・


(19日 夕方)昼間、かつて家庭教師で教えた子からメールがきました。今朝、無事に出産したとのこと・・・実は何日か前に地震のあった日の夜から兆候が出たというメールは受け取っていたので、ずっと心配していたのです。

うれし涙です!こんな涙ならいくらでも流したいです。今から昨日の煮豆と共に お茶 で祝杯です。

・・・ところで、性別は書いていなかったんですが、どちらだったのでしょう?????

(19日 朝)この欄に書いたつもりでいたのですが、地震後の一部を別ページに移行する際に見直したら書いていなかったので書いておこうと思います。それは地震のあった日の夜、停電で真っ暗になった闇の中、寒さと強い繰り返し襲ってくる余震の恐怖の中でほとんど眠れなかったのですが、明け方にほんの数十分うとうとできました。

その時にみた夢の中に上原輝男先生が出てきてくれたんです。
先生は地震のことには全くふれようとしません。私がちょっと怪訝な顔をしていると「地震があろうが何があろうが児言態の研究はしっかりやらねばいかん!!!」とゲキをとばされました。そう言われた私は「子どもを救え」等々というのではなく「児言態の研究」と言われたことに夢の中で驚いていました。

でも、その後の日々の体験を通して長年行ってきた・・・子ども達から教わってきた・・・イメージ運動の研究や意識世界の研究が今こそ真価を問われると思っています。

悲惨な報道も多い中、テレビやスーパー内でみた子ども達の笑顔には本当に大人たちが救われます。


(18日 夜)午後の更新後、やはり体の冷えがこたえているのか震えがくる寸前の体感&いつもの偏頭痛とはちがって前頭部からくる鈍い頭痛(軽いですが)等々が起きて・・・この状態が悪化したら今夜はかなり厳しくなってしまうと思い、灯油の刺激臭はあいかわらずきついものの寝室につかっていた部屋でまだ布団の上に折り重なったものの片づけをあまりしていない隙間で毛布にくるまっていました。そうしたらかなり改善されました。

途中で近所の方が「豆を煮たので」と持ってきてくださって。甘いものは今回の非常用のチョコレートも食べていますが、この甘さは何ていったらいいのでしょう・・・「温もりのある甘さ」とでもいいましょうか・・・とにかく「魂の奥底にまで染み渡る」という言い方をしても決して誇張ではありません。

昨日居場所を確保した仏間(通常はここで食事をしていました)も含めると、やっと地震前に生活空間だった3つの部屋に居場所ができたのですが、夜になると室温の差が歴然。一番マシなのがもともと寝室だった部屋ですが地震でひっくりがえったストーブから流れ出したすべての灯油がたたみにしみこんだだけあって刺激臭がひどい上に、仮に大きな余震がきたら一番危険です。かなり冷え込みが厳しいですがややマシな仏間はとても寝るスペースはなし。(こたつがある部屋なのですが、節電のため地震後、ようやく少し片付けた昨日以降も一度も使っていません)

そうするとやっぱり一番寒くても安全なのは居間のリブマックスの椅子の上です。ちなみにネット用のパソコンはこの居間にありますが、寒さは他の部屋と比べて段違いですね・・・やっぱり。

余震への油断は禁物なので寝るときも厚手の外出着を一番上に着て、ポケットには懐中電灯や何かをゴチャゴチャ入れたままで毎晩います。それが寝心地をさらに悪くしているのですが、非常時ですから仕方ありません。

(18日 午後)昼前、「毎度おなじみのちり紙交換です」というのが聞こえてきました。何だかものすごくホッとしましたね・・・・。ちょうど2包み新聞があったので声をかけました。こんな大変な時期なのでトイレットペーパー3個と換えてくれました。

それからちょうど地震のあった時に居たスーパーに行ってみました。買出しというより町の中の様子・・・ほとんど家にこもりっきりだったので特に人々の様子・・・を見るのが目的でした。


広い駐車場は車でいっぱい。入場を待つ行列ができていましたが数分後の入場で私を含めて全員入れてもらえました。入ってまずビックリしたのは入り口すぐの野菜や果物売り場が地震前とそれほど違わない品揃えだったこと。魚やお肉やお惣菜売り場もほぼ復旧していました。

私は同じ1週間前の地震直前に普通に売り場を歩いていた感覚が甦ってきて、涙があふれそうになって・・・ただ泣いている人はだれもいないのでさすがにこらえたのですが、こらえるのが大変でした。親子連れも大勢いましたが、子ども達の笑顔には本当に救われます。即席めんやタマゴや電池など、品物によっては全く置いてありませんが、売り場によっては「あの地震は悪い夢だったのではないか」と思えるくらいです。

でも現実には日本中で大変な状況になっていることはほとんど改善されていません。ちょうどタマゴが少し入荷されてきて並べられ始めたのですが、買うのは控えました。結局買ったのは 3玉入りで98円のゆでうどん 一袋です。うちに乾麺はあるのですが、地震後は1度ゆでて昆布だし入り醤油をかけて食べました。お湯をかなり減らして、流水にさらさないで食べたのですが、それだってそれなりに水は使うし、湯で時間が8分ほどかかる麺なのでガスの節約からもちょっと気が引けていたのです。これなら少量の水で短時間の加熱ですむと思ったので。

セブンイレブンは弁当やパン類は全くありませんでしたし、他のたなもほとんど品切れ。私がここで買ったのはお湯を入れて作る即席のコーンスープの素。冷え切った朝の体にはかなり威力を発揮してくれます。家にあったのはもうあと一回分だったので、10回分入りのを一箱だけ買いました。レジで串ざしのから揚げを買っていた親子連れがいたのですが、小さい男の子と女の子がお母さんがから揚げを注文しているのを見上げてニコニコしていました。お菓子の棚にもほどんど品物がないこの状況を、きっと幼い子どもながらにただ事ではないんだ、と感じていたのでしょうが・・・・

ガソリン・灯油が購入できる見通しは今のところたっていないと今朝のラジオではやっていました。それでも物資やライフラインの面では驚異的なスピードで水戸は回復中です。

ただ、それを「ああ良かった」で済ませてしまってはバチがあたるでしょう。一足先に元気を補充させて頂いているのですから、その力を今度はどのような形で他の方々に還元していくか・・・それを本気で考えて実行していかないと。

それは私自身での大きな課題でもあります。先ず今はなるべく節約できることかと思うので、なるべく震災直後の生活パターンで何とかなりそうな部分は復旧していても変えない・・・それしかないですが・・・。

さて、何だかんだ言って、今日は朝食もとらなかったし、インスタントスープも飲んでいないのでこれから食事をとろうと思っています。

あと1時間ほどで地震の起きた時刻・・・実はうちの居間の時計は電池は入っているし外れているわけでもないのですが、在れ以来(その時計で)2時55分をさしたまま動かなくなっています。

(18日 朝)金曜日になりました。思えば一週間前の朝は、私も含めてみなさん、まさか数時間後にこのようなことが起きるなんて誰も思わないで普通に生活を始めていたんですね・・・・。広島で被爆体験をされた上原先生が「こんな日常の生活や常識なんて僕は信じない・・・原爆一発落ちてみろ・・・一瞬にして消え去るんだから」と口癖の様に語っておられたことが身にしみます。

水戸気象台の発表では今朝の水戸地方の最低気温は氷点下1.5くらいで昨日よりはマシ・・・・ということなのですが、体感的にはそんなものではありません。昨日よりずっと厳しい一夜でした。私の住んでいる水戸市赤塚は、気象台からみると西になります。そしてさらに西の笠間市は今朝氷点下5度だったそうで・・・どうも赤塚は笠間を被っている冷気のエリアだったと思われます。

とにかく夜中の3時頃には尋常ではない寒さで毛布の中にいてもダメ。咳もひどく出るようになって・・・・。一度起きて熱めのお湯を湯のみ一杯飲んで、体内の大きな筋肉で熱を作ろうと骨盤体操をして、熱源のカロリー補給のためチョコレートをかじり・・・そうしてもう一度毛布にくるまりました。今朝は未明ほど咳はでないで済んでいますが、分厚い靴下をはいていてもどうしても足元が冷えて気力体力が消耗・・・なので昨日発掘した湯たんぽで足を温めながら更新作業をしています。(湯たんぽを使えるだけでもありがたいことなのだとしみじみ思います)

日が昇ってきてからちょっと庭に出てみたのですが、真冬なみの本格的な霜柱がたっていました。やはり昨日よりずっと冷え込んでいます。


今朝届いたメールの中に児言態の岩手在住の会員で連絡がとれないでいたS先生が無事だったという確認がとれたということが書いてありました。良かったです。